自由
瞑想し
己の心を
見つめてみろ
己の
見たくない闇
己が
知りたくない
理解したくない
受け入れたくない
みとめたくない
闇の感情が
見えてくるだろう
嫉妬
執着
怒り
妬み
恨み
辛み
悲しみ
見たくないだろう
だけど
今
あなたには
見えている
その感情が
はっきりと
見えているはずだ
そこに
目をそらすな!
見つめろ
あなたを
知るのだ
あなたには
その感情があるということを…
ブッタが
言ったように
↓
私たちはみな生まれつき煩悩を持っている。本質的に物を考える時愚かな考えをする。
しかし無明があることに気付いたとき、その人は「愚かさ」から抜け出せる。
しかし自脱できない人は自分の考えが正しいと思い自分は賢者だと考える。
そういう人は愚か者と言われる。「愚かさ」に気がつくことが大事。
煩悩の正体は何?
恨み、執着、傲慢などの煩悩の大元は⇒無明(むみょう)である。
↑
http://www.geocities.jp/aoirob2/buddha.htm
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己にも
その感情があることを
瞑想により
見て
感じて
己を知り
受け入れ
認めることだ
たとえば
あなたが
素晴らしい
立派な
蛇を
捕まえ
つかんだとする
あなたのものになったが
あなたは
両手で
その蛇を
ずっと
掴んでいなければならない
逃げないように
動かないように
首根っこを
掴んでおかねばならない
蛇も
身動きがとれず
苦しくて
なんとか
あなたから
逃れようとする
あなたも
その逃げようとする蛇を
必死で
両手で抑えておかねばならないので
あなたも身動きがとれないし
あなた自体も
苦しくなる
それでいいのか?
こだわり
執着している
己をしっかり
感じるのだ
それが
己を知るということ
己にも
その煩悩があることを
受け入れ
認めることだ
受け入れたら
さて
あなたは
これから
何者として生きていきたいのか
己を知り
見つめ
どう生きていきたいのか
執着して
苦しみ
身動きがとれず
生きていきのか
それとも
たとえの
蛇を逃がしてやり
自由にしてやり
己も
自由に生きていくのか
さて
己は何者でいたいのか?
自分に問うてみよ
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